17日(木)よりみなさんに渡し始めて ほぼ参加者全員に行きわたったようです。
プログラム内に紙面の余裕がありましたので10ページ目に
私の備忘録もかねて、「教室ファミリー・ヒストリー」を書いています。
今年のプログラム表紙のイラストは れいかさん(小5)のイラストが採用されました。
《 教室ファミリー・ヒストリー 》
永く教室をやっている間に、私からすると実の娘を含め、息子、娘が増えファミリーができました。
1981年に1人の生徒さんからはじめた教室。1999年に別事業を立ち上げた際、
教室のピアノ講師として来てくれた山名由美先生、現在は私の2人の孫もお世話になっております。
2004年に事業から撤退。
やはり戻るところは音楽だと、教室を再構築するため2006年にはホームページを作りました。
その少し前に、生徒さんの中からギターコースの要望があり、
有川知幸先生の知り合いに講師依頼しました。そのまたずいぶん遡りますが、
必要に迫られ20歳代後半に叩き始めたドラムを長女にも習わせ、
1990年発表会で叩かせると、多数のドラムコース希望者が増えドラムコースが
自然発生的に出来上がったのでした。
ギターコースとドラムコースができると、バンドがしてみたくなり、
2007年に有川先生にベースをお願いして、 バンドの発表会も開催できるようになりました。
そのままベースコース講師で教室にかかわっていただいています。
教室の発表会を盛り上げていただくために、有川先生も在籍していた県立大学ジャズ研には
ずいぶんお世話になりました。
ホームページを作成してから、2006年、クラリネット講師希望の谷田先生が
飛び込みで教室に来られました。それ以降、結婚・出産で辞めることになっても、
クラリネットコースは受け継がれ、現在は4人目の前田先生が精力的に
サックス指導にあたっておられます。(いつの間にかクラリネットからサックスになりましたが)
教室にまた転機が訪れます。2010年荻野先生がこれまた飛び込みで。
現在でこそ、ホームページに「講師募集」とうたっていますが、
当時、講師募集の宣伝はしていないのですが、後から聞いたところによると、
荻野先生のお母様がブログを見ていらして「楽しそうだから。行ってみたら?」だったそうです。
意気込みと、自身の演奏CDを携えて、私はギターのことは詳しくはなかったのですが
演奏CDを聴いて、行ける!と判断、荻野先生、即採用でした。
それから3年後、ドラム講師希望の佐藤先生から問い合わせがありました。
今でも覚えている面接。緊張しながら早めに教室に来た時間は、当時2歳の孫の昼寝前。
寝かしつけてから面接を考えていたのが、孫同席で面接。
なんとすぐに抱っこしてもらってご機嫌な孫。これは行ける!と即採用。
もちろん私もドラムの心得がありますから、ドラムセットに座って10秒も叩いてもらったら、
腕前は申し分なしと判断。
ちょうど私自身が加齢でドラム体力が低下していましたので、
若い先生にバトンタッチするよい機会になりました。
2015年、荻野先生の弟子でギター専門学校を終えた栗山光生先生が、
忙しくなってきた荻野先生をカバーするために講師として教室に。
プログラムの裏表紙にもご案内している「講師陣野外ライヴ」。
教室を盛り上げるために荻野先生が中心になって企画。
2015年の発表会より、講師演奏の際、キーボードのゲストとして参加いただいていた、
広川由美子先生が正式に、なるせ音楽教室の講師として参加されたいとのことで、
5月に講師採用になりました。見た目の鍵盤は同じでもピアノとキーボードは演奏方法が違います。
音楽を楽しむための幅広いコースが展開されることになりました。
大人の鍵盤ハーモニカも乞うご期待。(鍵盤ハーモニカはプロも使用しています)
(このブログで広川先生をご紹介しましたが今週中にはホームページにも広川先生を掲載します。)
2005年より近所のマンションで第二教室と称して、
ギター、ヴォーカルコース等をしていましたが、音漏れなどで近隣にご迷惑をかけていました。
2013年5月、自宅庭にたんぽぽルームとさくらルームを設置してマンション第二教室は撤退。
2014年4月に、自宅2階を、ドラム2台とバンド練習ができる設備を整えた
あおぞらルームとして改装しました。
講師ヒストリーと教室の建物ヒストリーに続いてプライベートになりますが、
2010年に、教室の生徒でもあった右田雄作とご縁があって
結婚、退職後、子育て真っ最中にもかかわらず常に、アシスタントとしてフォローしてくれる長女にも
感謝しつつ、教室に通われている皆様、ご家族そして講師の皆様、、ありがとうございます。
これからも教室が楽しい音楽の発信元になれますよう、願ってやみません。