こんにちは
なるせ音楽教室、代表の成瀬です。
このホームページにあるワードプレスのブログになってから
なんとなく、気軽に更新できなくて
事務連絡みたいなのが多いです。
(実は 以前書いていたブログ 今は看板猫ブログになっていますが、
それなら ほんとつぶやくみたいにかけたのですが、
すこし 新しいのに、慣れないのになるとなかなか受け入れられないのでしょうかねぇ)
さてさて 自分が年を感じるな~と思った記事。
確か3月初めに掲載されていました。
ヘルムート・ビンシャーマン死去の記事。
この記事で、一挙に大学生時代にタイムスリップしました。
大学の友人で
ひらくん(君ですが おんな)
もっち
かおりさん
かんさん
まこちゃん
そして私。
ピアノコース、声楽コース、管楽器コースと専攻は異なっていましたが
仲良し6人でいつも一緒にいました。
で、それがなぜヘルムート・ビンシャーマン?
オーボエが上手い、ひらくんが
ヘルムート・ビンシャーマンの公開レッスンを受け
ドイツに留学しないか・・といわれたとかそんな話を思い出しました。
昔、パルナソスホールに、室内楽の指揮で来日した時、聞きに行ったことがあります。
学生時代、ピアノコースには上には上がいるもので
あくせくピアノを弾いていました。
あんまり たのしい思い出はないな~。
自慢じゃないけれど、譜読みは早くて、伴奏が好きだったので
伴奏が必要な、声楽や管楽器の学生に重宝されました。
しかし、たかが伴奏。されど伴奏。
ソリストに寄り添い、ソリストを引き立て、
時には、同等に掛け合い
いろんなテクニックを要求されます。
専攻のピアノの先生に、叱られるのならこれは普通ですが、
管楽器や声楽の先生の、伴奏者に対する要求はすごいものがありました。
そりゃ、ソリストを引き立てなけれなならなものね。
伴奏でレッスンについていって、
伴奏に思い切りダメ出しをうけ、自分のレッスンじゃないのにクタクタになって帰りました。
ヘルムート・ビンシャーマン公開レッスンの時は幸いにも?伴奏はしませんでしたが
平成20年に亡くなられた オーボエ奏者の岩崎勇先生の時は
そりゃもう 大変でした。
もちろん 私の実力不足が原因です。(苦笑)
声楽曲は人の声で自分でもイメージでき、好きでした。
弦楽器と金管楽器の息遣いの間合いをとるのが難しく
金管楽器の学生なんて、私にとってわけのわからん近代曲をよくやっていたので
断っていました。
自身もホルンをしていましたが、古典かロマン派でしたから。
今となってはいい思い出で、
ピアノの教授以外に鍛えられたのもいい勉強になったと思います。
記事によると、ヘルムート・ビンシャーマンは100歳で亡くなられたのですね。
一気に40年前を思い出させてくれて ありがとうございます。
私の昔話でした。